県外進学した大学生が久しぶりに実家に居座った結果

やっぱり一人暮らしはいいぞー!!!

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得意料理:ねぎとベーコンと麺を加熱したやつ
…と数日前のお昼ご飯を食べながら実感していたのでひとつ振り返りをば。
 
現状社会人1年目で実家から離れた所にいるのでもう実家には居座ってませんが、
大学の単位を取り終わり就活も一段した後、しばらく実家に帰っていました。(コロナのせいで大学にも簡単には行けなかったし。) 実に約4年ぶりくらいの長期滞在@実家でした。
 
ご飯を作る心配をしなくていいのと兄弟のゲームを好きに使える(言っても就職まで数ヶ月だけの予定だったのでバイトもしておらず時間が割とあった)のは快適だったけど*1、どうしても自分の生活を客観的に見る機会が減ってしまっていた気がします。自己啓発本とか読んで、今日からしっかりしよう!と思い立ったところで「いやでもまた変な目で見られて色々言われるのか…」と考えてしまい撃沈することがどれだけ多かったか…
ただの言い訳でしかないな(笑)
まあちょっと長めの休暇だったということで。
 
結局は自分の生活(の大部分)を自分で管理できてる実感は快適に生きる上で欠かせないよな〜と思った数ヶ月でした。どうでもいいけど自己啓発系の本ってやる気スイッチ入るけど、家族や知り合いに読んでるところ見られると妙に恥ずかしくないですか? 人によるか。
 
以上県外大学に進学した人のその後の感想でした。何かの参考に…はならないか。
※個人の感想でしかないところはご了承ください。

*1:この状況をを期間限定ニートといいます(笑)

実家を離れて見えてきたこと

4年間、大学進学や留学に伴って約1年単位もしくはそれよりも短いスパンで引っ越しを繰り返してきた*1。高校生以前までのほぼ18年間ずっとひとつの場所に住んでいたことを考えると、とんでもなく極端な変わりようだ。

新しい環境に飛び込む度に自分の中の当たり前が変わって、前までの自分小せえええと思うことが増えたので自分の変化(主に内面)をまとめてみます。「こんなこと考えてる人もいるのね」程度に読んでもらえるといいな。

 

好きなもの、ことに正直になることはそこまで怖くない

実家に住んでいた時は自分が好きなものを隠しがちだったように思う。アイドルやおしゃれな見た目のカフェなど、興味はあるものの普段の自分のキャラから明らかに遠いもの、日常的に触れてこなかったものからは意識的に距離をとったスタンスでいた気がする。世の中の全家族が個人の「好き」に対して否定的(もしくは自分が理解できないものを多少馬鹿にしがち)なはずはないと信じたいが、我が家は残念ながら新しい物事に対して嘲笑、というか「そんなこと始めたんだ(笑)」という笑いが多い環境だったと自覚している。(少なくとも私にはそう感じられた。)端的に言うと、本当に自分が好きなものを馬鹿にされるのが怖く、好きなものをさらけ出さないことがある種の自己防衛だったのかもしれない。

ただ、県外の大学に進学したり海外に留学したり興味のおもむくまま色々な本を読んでみて、これまでとは比べ物にならないくらい多様な考え方や生き方に触れた結果、人の目を気にしすぎることは必要ないのだと思えるようになった。ある意味肩の力が抜けて、自分の頭の中を晒すことが怖いのは変わらないまでも、否定されても「まあそういう考え方の人もいるよね」と受け止められるところまで成長できた。

逆に自分が何にも考えてない面白みのない人間だと思われることが怖くなった感はあるけれど、言わなきゃ伝わらないことばかりの世間で生きていくには必要な考え方なんじゃないかと思う今日この頃。

 

考えるだけじゃ問題は解決しない

皿洗いなどの家事など、やり始めればすぐ終わるものから大学の課題に代表される一筋縄ではいかない、やるべきこと達に「当事者」として向き合い続けた結果、今やらないと後でもっと大変になるよなぁという考え方が割とすぐにできるようになった。基本的に面倒くさがりな性格は変わっていないと思う(し、いつでもサクッと行動に移せるわけではまだない)が、以前と比べれば思い立ってから行動に移すまでうじうじだらだら考える時間が短くなったと実感している。

正直、何かをやり始める前に考え込んだところでその時に思いつけることの幅は限られていて、結局後で手直しや大きな修正が必要になることもあった。そうなると時間を無駄にしてしまった感でやる気を失ったり、もうどんな結果でもいいやと投げやりな気持ちになってしまい、自分で自分の成長できる機会をつぶしてしまっていたように思う。

行動する前に考えることはもちろん大事だが、そこに時間をかけすぎず、行動しながら修正していけるぐらいの(精神的、時間的な)余裕と視野の広さがあれば人生をもっと楽しむ心の持ちようができそうだ。…ということに気づけたので、あとは今後出会うであろう大きな問題たちに対して、ある程度の見通しを立てたらえいやっと行動できるだけの余裕を身に付けることが課題か。

 

多少の手抜きの大切さ

高校時代アルバイトが禁止の自称進学校に通っていたので大学入学後に初めてアルバイトをして「働く」ということを自分事として経験した。いち従業員としてお客様や同僚たちという他人に接することで、大人は思っていたよりしっかりしていないんだなぁということに衝撃を受けた。

人によっては初めてのアルバイトに対して、自分で稼いだお金を(ある程度)自分の好きなように使うことの楽しさや気楽さなどポジティブな印象をよく覚えているのかもしれない。ただ、私にとっては「この世って割と適当な感じで回ってるんだなぁ」というある意味絶望というか諦観の方が大きかった。…などと書くと、ただネガティブになっているようだが、逆に言えば「完璧を目指す必要がいつでもあるかといえばそうじゃない」ということが分かって気が楽になったようにも思う。

建前的に持っている目的は別として、自分にとって本当に大切なことは何かを意味もなく犠牲にしなくなったことで、人生の楽しさレベルが結構上がった。

 

以上、社会人1年目で相変わらず一人暮らし続行中のめいいんが振り返ってみました。

 

*1:コロナのせいで大学内の住居に住めなくなったりもした。